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婦人警察官の夢を追い…

婦人警察官になりたいと思ったきっかけは 中学校の時に 私の目の前で姉が車にひかれて 道路の真ん中で意識を失い 動けなくなった姉を見たときでした。その日は クラスマッチと言って クラス対抗のスポーツの大会の日で 中学校の校庭では 全学年大会開催できる広さはないので 毎年 呉市の大きなグラウンドまで各自電車で行ってそこで クラスマッチを行っていたので 朝から 電車で呉まで行かなくてはいけなくて 私は友達と反対の歩道を歩いていて 先に家を出た姉が 反対の歩道に友達といて電車の本数が そんなにない 田舎の単線ですので みんな焦っていて 姉たちが道路を渡ってきたその時 車の急ブレーキの音と ドン って 大きな音… 振り返ったら最愛の姉が倒れていて… 何が起こったのか まったく理解ができず 近所の方が音にびっくりして 出てきてくれて 救急車を手配してくれ 姉は私の目の前で救急車に乗せられ 連れていかれてしまい… 

クラスマッチの会場について 先生に 言われた一言が…

『穴井さん すぐに病院に行きなさい。お姉さんを見ても 取り乱したらだめですよ』

先生に連れられ 病院に駆けつけたとき 父も母も泣いていて 姉は意識不明の状態でたくさんの管につながれていて…

脳内出血 今夜 意識が戻らなかったら 諦めてくださいと告げられました。

広範囲におよぶ 脳内出血で 意識が回復しても 身体麻痺 言語麻痺 なにかの後遺症が残るでしょうと…

そこから 毎日毎日 姉のために祈る日々 両親は付き添いで 家には帰ってこなかったから 私は親せきの家に預けられ 10日間の意識不明 もう ダメなのかなって お姉ちゃんにもう会えないのかなって 不安な日々を過ごしていましたが 我が家は毎日毎日 家族で 朝晩に 般若心経のお勤め 弘法大師様とのお勤め 仏様のご真言のお勤めをしていたので 奇跡的に 目を覚まし 嗅覚障害は残りましたが 他の大きな後遺症もなく 命を取り留めることができました。

病院で 私が決意したこと 

この世界から交通事故を無くしたい 

被害者も 加害者も その家族をも不幸にしてしまう 交通事故 

婦人警察官になって 交通事故を無くす仕事がしたい と思いました。

進学校でしたので 大学受験をするのが普通なことで 学校の先生にも大学受験を強く勧められ 受けるだけでも良いから 受験してほしいと懇談で言われたことをすべて断り 目標もなく大学に行って 遊ぶくらいなら 楽しむために大学に行くのなら 受験はする価値ありません と はっきりと伝えて 自分の目指す道を応援してほしいとお願いしたのを思い出します。頑固でした。

大学受験用の模擬試験もすべてボイコット 受けずに 帰ります って 帰っていたのですが 今になって 考えると なんで あんなに意固地になっていたのだろうって…先生の言いなりになりたくなかったのかもしれません。

当時 婦人警察官の採用は少なく 交通巡視員の採用が多かったので 大阪府警の婦人警察官の採用試験と広島県警の交通巡視員の採用試験を受験 各都道府県の試験日が重なってしまうので 多くは受験できなくて 高校生の時は 全て 落ちてしまい 兵庫県に引っ越しが決まっていたので 神戸の 公務員受験の専門学校へ進学をしました。ここでも 高校の先生とのバトルがあり 公務員受験落ちたなら 穴井の学力やったら 兵庫県の この大学は受験はできるから 大学受験してほしい って 再度 大学受験をすすめてきて… 大人の都合に合わせてたまるか と 専門学校に首席で合格。

そこから 婦人警察官への夢にむかって勉強の日々 そして 空手を習い アルバイトをして 親に迷惑かけないように 頑張りました。2年目は 大阪府警不合格 兵庫県警 一次試験合格 絶対 2次試験も合格できると ここで 確信したのに まさかの 不合格… 

3年目は  東京の警視庁に勤めるおじさんに 話を通してあげると親せきからの申し出があったのですが 自分の力で頑張ります と お断りし 見事に 不合格

 私の婦人警察官への夢が 終わった瞬間でした。

そんな私が 癒しの世界へ…

続く 

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